2013年09月15日

旅の記憶 ひめゆりの塔と荒崎海岸



沖縄南部、日米沖縄戦の激戦区、その南部にあるあまりに有名な「ひめゆりの塔」「ひめゆり平和祈念資料館」。ここは絶対に行こうと決めていた。ここに行かずして沖縄にきた意味がない。

意外にもその周辺は賑やかでレストランや土産物屋が多くあり、観光客も多い。しかしそれらの観光施設(献花売り場も)はすべて「ひめゆりの塔」「ひめゆり平和祈念資料館」とは一切関係がないそうだ。

「ひめゆり」の名を商売に使われることに関係者は複雑な思いを抱いているという。

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今読んでいる「ひめゆり 〜沖縄からのメッセージ〜」小林照幸著によると、

 ---「ひめゆり平和祈念資料館」は1989年6月23日、7年の準備期間を経て開設された。ひめゆり同窓会による自 主運営であり、公的資金を一切受けないという点で、日本では稀有な戦争資料館である。---

現在は1日2千から4千人が訪れ、多い日では6千にもの来館者がある。建設当初は沖縄県は反対の姿勢を示していたという。

---資料館の建設には同窓会の土地を担保にして、銀行から1億5千万の借金をした。利子だけで年間6百万円だっ た。返せるのか、の心配も、結局は杞憂だったが、多くの来館者があり完済できた。---

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拝観すればなるほど公的資金が入っていない施設だということが分かる。かつての皇民化教育によってほとんどの教師、生徒が洗脳された過程が写真を交えて詳しく解説されてある。公的資金によって運営されている施設ではありえないだろう。それだけにこの「ひめゆり平和祈念資料館」は日本にとって貴重な資料館であるといえる。

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「沖縄陸軍病院第三外科壕跡」、旅中は予備知識がなかったので、この洞穴が病院外科壕だったということが上手くイメージできなかったのだが、「ひめゆり 〜沖縄からのメッセージ〜」を読んで感得できた。

この洞穴のなかで多くの戦傷者が寝かされて、その冷たい岩と戦傷者の間をひめゆり学徒隊がめまぐるしく動き、看護していたのだ。

南部は激戦区であっただけに激しい戦闘があった場所や、集団自決した場所があるだろうと思い、花売り場のおばちゃんに聞いてみたのだが、説明は良く分からなかったがどうやら海岸の方にあるらしいので行ってみた。

しかしやはりよく分からなかった。道が途中で途切れていたり、坂も多く体の疲れもあったので行き着いた海岸で写真を撮っただけで諦めて引返した。

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「ひめゆり 〜沖縄からのメッセージ〜」に載せられている体験記によると、ひめゆりの塔の南、荒崎海岸で多くの悲劇が起こったようだ。

しかし今地図を見ていると、わたしはその近くまで行っていたことが分かった。上の写真も荒崎海岸の手前の海岸である。恐らくこの海岸でも多くの方が無念の死を遂げたのだろうと思う。

わたしたち本土の人間が今できることは、真実を知ることです。知らずしては泣くことも怒ることもできない。

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posted by チャリダー詩人 at 15:56| Comment(0) | 2013九州沖縄の旅 旅の記憶 感動編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする