アマゾンのプライム動画で「麻雀放浪記」観ました。
この映画はわたしが高校生のとき、ちょうど友達の家で麻雀して楽しんでた時期にTV映画でやってたのを観て、そのときは単に麻雀の役やらが気になってストーリーや配役やセリフなんかに深く考えることはなかったのだが。
43歳になった今、ちょうど自転車で放浪する前の今の時期にこの映画を観て、なんか考えちゃいました。
鹿賀丈史扮するドサ健が恋人(大竹しのぶ)を女衒(加藤 健一)に売ったことに
「この娘さんがどうなってもいいのかい?」
と説教する屋台のオヤジにドサ健が言い放つセリフ
「どうなってもいいのはてめえの方だ
てめえら家付き飯付きの一生人生だと思ってんだろう
そんな保険のおかげでこの女が自分の女か他人の女か
見分けもつかねえようになってんだよ
てめえらにできるのは長生きだけだ
糞たれて我慢して生きてるだけだ」
このセリフを言い放つドサ健に、善悪を超えた人間らしさ、開き直った人間の潔さ、気高さを見たような気になったのです。
わたしたちはもっといい加減に生きてもいいんじゃないでしょうか、道徳とか法律とか誰かが勝手に決めた無味乾燥な規律ではなく、自分が今欲する楽しさに、未来でも過去でもない今欲している楽しさに何もかも投げ出して後先考えずに生きてもいいじゃないか、「糞たれて我慢して生きてるだけ」の人生から逃れるために。
麻雀の最中に病気の発作で死んだ出目徳(高品 格)を籠付きの自転車で家の前まで運んで土手から転がすように捨てる。その後その自転車の籠に乗ったドサ健と女衒と自転車を漕ぐ青年の坊や哲(真田広之)、そのメンツにつられてついてくる上州虎(名古屋 章)、これがラストシーン。
みんな清々しい顔をしている、これからまたこの四人で人生をかけて勝負するというのに。

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