本日の労働終了しました

今日は比較的楽な仕事でした
帰りに同僚の方にBENTOSっていう弁当屋に寄ってもらって弁当を買って帰りました

なかなか美味かったです、こういう晩飯もいいねえ
今日いろいろあって、ふと考えたんです
人間の悩みって、そのほとんどが人間関係つまり、つながろうとしてつながり切れないそのはがゆさからくるものなんだろうな、って
誰だって仲良くしたいんです、でも仲良くできない微妙な何かによって喧嘩してしまったり、恨んだり、嫉妬したりしたりして、上手くいかない
それで悩んでイライラしたり、「うつ」と呼ばれる症状になったり
でもなぜ上手くいかないんだろう、って考えたら
それはやっぱり人間のサガとしての「弱さ」が原因なんだろうな、って思う
強がってる人ほど弱いのだと思う、なぜって弱くないのなら強がる必要はないのだから
でも現代社会では強がって、無理にでも笑って、無理にでも自分の主張を押し通して生きている人のほうが「立派」とされるんです
だから弱さを受け入れて、自分に素直に生きている人はときに「情けないやつ」なんて言われて隅に追いやられてしまう
かくいう私はどちらかといえば、強がって生きている部類の人間です
13年間サラリーマンをして、それから自営業を10年間しましたが、ずっと強がって、人の顔色をうかがいながら、上手いこと生きてきた人間だと思います
だから「弱い人」の独白を聞いてしまったときは
この人は素直な人なんだなあと思って、むしろ羨ましいような気持ちになるんです
強がって生きるって、実は悲しい生き方なんですよね
でも人間はこの人間社会で上手く生きていかなくてはいけない
自分を変えることなんて、そう簡単にできることではない
ではどうすれないいのか
どうすれば人と人との関係にできるだけ悩まずに生きてゆくことができるか
それは簡単なようで難しく、難しいようで簡単なのです
一人になればいいんです
できるだけ一人になれる状況を作って、その自分の世界で自由になれる時間を多く作るんです
それは簡単なようで難しく、難しいようで簡単なのですが
それを難しくしている一番の要因は、「お金」だと思います
その次が「義理」であったり、「世間体」であったりしますが
それを捨てることができれば、人生はかなり楽になります
わたしは強がって生きてきましたが、弱い自分はいつも自覚していました、卑怯で情けない自分も自覚していました、でもそれを表に出せずにずうっと生きてきました
だからこそ、そんな弱い自分と向き合いたくなって、すべてを捨てて旅に出たのです
そしてなんとか生きています
ちょっと楽しく生きています
完璧に楽しく生きるのは無理なんです
なぜって、この人間社会の不条理は、例えるなら雨の日のキャンプ場のテントのなかです
狭いよね、蒸し暑いよね、でもなんか楽しいよね
「不条理なるがゆえによりよく生きられる」
アルベール・カミュ
おやすみなさい

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