いま向田邦子のエッセイを読んでいるのだが、とても面白い
エッセイだから日常に作者が体験したその時々の出来事を作者独自の筆調で綴っている本である
面白く読めるのはもちろん、向田邦子という個性的な作家の筆の力に依るところ大なのであるが、読んでいて楽しくなるのは、書いている作者自身も楽しい気持ちで気楽に書いているからだと思う
そしてそれぞれの短い物語が、誰でも経験してるような、これから経験しても可笑しくないようなごく普通の日常を背景にしているからだと思う
小説やノンフィクションは誰もがあまり経験しないような希少な事柄、非日常をテーマにするから面白いのであるが、それだけに読むには少し覚悟が要るのである、ときに読んでいて気持ちが重くなったり、最後まで読むのに忍耐力が持たなかったりするから
日常は実は面白いのである、平凡な日常を過ごしている人なら尚更、日常のなかの小さな事件に一喜一憂する「作者」の、ときに大袈裟に思えてしまうようなリアクションに思わず笑ってしまうのである
書籍では「エッセイ」「随筆」などと呼ばれて、有名作家のそれは、まさにいま読んでいる向田邦子や、詩人や小説家や学者の作品は文学的に価値がある作品として歴史に残ったりするが
インターネット上では「つぶやき」や「スレッド」や「ブログ」として、毎時毎分次々と掃き捨てられてゆく情報の欠片として、日常の囁かな事件は氾濫しているのである
それらがすべて面白いの訳ではないが、ときにアホらしいような、どうでもいいようなタイトルタブをクリックしてしまったりする
「ラーメンにニンニクかけ過ぎた」とか「Amazonで全く見当違いの商品が間違って届いた」とか
ほんとにどうでもいいようなことについ興味が引き付けられたりする、実際に見ると期待ハズレだったりするのだが、でもまた懲りずに同じようなタイトルタブをクリックしてしまったりする
このいまの「エッセイ」が氾濫しているインターネットのご時世が、良いか悪いかなんて議論をしても意味がない、でもわたしとしては、スポンサーの思惑がむき出しのTVバラエティー番組や、小さな出来事を殊更大きく誇張して無理やり社会性をのせて発信するTVワイドショーやニュースに比べれば
同じどうでもいいようなことでも、リアクションは大袈裟だとしても、起きた事件そのものはリアルな生なまま公開するネット上の囁かな事件の方がはるかに面白いのである
日常のなかにドラマがある、作者には気付かなくとも、読者には見える世界がある、その世界が潜むのは画像であったり、テキストであったり、行間であったりするのだが、でもその世界は読者によって様々なのである
だから皆が披瀝し合って、交換し合って、もっともっと盛り上がってゆけばいいのだ、メディアがTVやラジオに独占された時代はもう終わった、誰もがナレーターであり、プロデューサーなのだ、そんな時代にもうすでになっている
ネタなんて探さなくても、ただ淡々とした日常を公開するだけでも、たとえそれがどうでもいいことのように思えても、ときに読者はその作者の日常にセンチメンタルな世界を見出だすのだ
だからわたしはこれからも淡々とした日常を、ただありのままに公開してゆくのである
「披瀝せよ、ただし押し付けるなかれ」
わたしのスローライフのモットーです

にほんブログ村
