2016年11月02日

旅人と破天荒



よく自転車で旅をしていると、「思い切ったねえ」とか「自由人だねえ」とか「勇気あるねえ」とか言われたり、わたしのブログを見てそれを記事にしてくださったブロガーさんには「ぶっ飛んだ生き方」と形容してもらったり

普通に生業を持って地に足をつけて生活している人からすると、ともすると「破天荒」な生き方に見えるのかもしれない

が、実際に自転車で旅をしているチャリダーからすれば破天荒に生きているつもりはまったくなくて、ただ楽しいことをしたくて、それを実行しているだけなのである


まず自転車という旅の手段はすごく計算的であると思う、まず燃料代が掛からない、自動車やバイクに比べれば安く買える、フェリーの運搬費が安い、キャンプ場の駐車代はほとんど無料、停車場所を選ばない、いざとなれば宅配便で送れる(わたしは絶対にしないが)

と、自転車というのは体力さえあればこれ以上旅に適したツールは無いのである、言い方を変えれば最高に無難なツールである


だから破天荒という危なっかしい生き方とはむしろ対極にある無難な旅の仕方なのである、自転車旅とは、だから多いのである、学生から年配者まで


仕事を辞めて無職になって旅をしていることについては、これは自転車旅に限らないが、年金収入がある年配者の旅人は別にして、収入源がない旅人はすごく無茶な生き方、波瀾万丈を選んだ生き方のように思われがちであるが

これも旅してる本人からすれば、嫌な仕事から逃れて誰にも干渉されない「楽な」生き方を選んだだけであって、決して無茶をしている意識はないのである


そもそも無茶を無茶と承知で選ぶ人なんていない、それらしく見える人は例えば危険感覚が麻痺した(ように見える)冒険家か(それでも周到に準備はしている)、無茶をすることでしか自我を抑えきれないいわゆる破天荒な人(横山やすしのような)ぐらいだろう

それでも本人は無茶だとは思っていないはず、嬉しいにしても悲しいにしても、生きようと欲している人であれば


日本人は仕事(会社)を辞めることに対して過度に敏感に悲観的になり過ぎていると思う(西洋人も同じだと思うが、なぜなら今の日本の雇用制度は西洋人に押し付けられたものであるから)、仕事を辞めれば一時的に収入は途絶えるが、また新しい仕事を探せばいい単純なことなのだから

「年齢的にねえ〜」という諦めのような言葉をよく聞くが、ネットを探して見れば、「年齢不問」と記載してある求人広告は山ほどある、むしろ年齢を限定しているような求人は見たことない(高校生不可はたまに見る)

長いこと同じ会社に勤めた人ならば尚更、その忍耐力を自分で保証しているのだから、どこでだって勤められるはず


旅人はただ、「旅という生き方」を選んだ人というだけである、「世捨て人」でも「厭世主義」でもなく、地に足をつけない生き方を選んだ人である、だから地に足をつけて生きている人から見れば特殊に見えるのかも知れないが

だから「いいよね〜そんな生き方」と言われたら思わず、「あなたもすればいいじゃん、明日からでも」って言いたくなる、だってこれほど簡単に選べる生き方はないと思うから、特殊な才能や資格が要るものではないから

ちなみに旅人には臆病で決断力が乏しく人付き合いが下手な人が多い気がする、かくゆうわたしもその一人

豪快で面倒見が良くて人望が厚いような人は、堂々と億することなく地にしっかり根を張って生きている、そんな風になれないから旅人になるのであろう


破天荒に生きるのは難しい、誰でも横山やすしにはなれない、でも旅人になるのには簡単、仕事を辞めて少しばかりの貯金を持って、飛び出せばいいのだ

楽しいかどうかは知らない、自由かどうかも

でも不確かな自由と不確かな明日はある

それが旅人



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posted by チャリダー詩人 at 13:17| Comment(1) | チャリエッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月28日

長時間労働が悪だという風潮について



最近またブラック企業という文言がTVやネット上で騒がれ始めた

わたしは何であれ、メディアが扇動して騒がれているものはすべて疑うようにしている

一時はワタミが槍玉に上がって、今度は電通

電通は以前から闇の深い企業だと言われてきたので、大衆を騒がせるには格好のネタなのであるが

騒いでいる人たちは、ターゲットが誰であれ、政治家であれ、タレントであれ、犯罪者であれ、ブラック企業であれ、自分がその拷問台の回りで目を血走らせて罵声を浴びせ、石を投げている群衆の一人だという自覚を持つべきだ

誰だって見たことのある中世の絵画やそれを背景とした映画の、あのシーンを思い浮かべるべきだ

長時間労働を許している企業をブラック企業と名付けて悪だと非難しているが、大事なことを忘れてはいまいか

その企業で働いている人は、その企業を自ら選んで入ったのだということを

人間は自らが選んだことについて責任を持たなければいけない、残るのもバックレるのも、最終決定権はいつも自分が持っているのだ

すべての労働者が洗脳されて逆らえない状態で働かされていると思うのは、それはその労働者に対する侮辱ではなかろうか

休みもとらずに毎日遅くまで働いている人は、働くことが好きだから一日中働いているのかも知れないし、お金がたくさん欲しいから長く働ける仕事を選んだのかも知れないし

それなのにその労働者が無理強いされて働いているんじゃないかと思ってしまうその根幹には、詰まるところメディアの報道があるのではないか

原発労働者やウラン坑山の採掘員や、情報が公開されてないばかりに被爆してしまった労働者はその雇用主に対して怒るべきである

情報は公開されるべきである、情報を隠して労働者の身体を危険に晒す企業は非難されてしかるべきだ

でも今のブラック企業騒動はその問題ではなく、単に労働時間が長いというだけで非難されている

メディアで流れることが情報公開だと思うなかれ、むしろメディアは一部の情報を隠すことで視聴者に「分かりやすく」なるように情報を編集して流している

でもこの「分かりやすい情報」こそ疑うべきなのだ、真実は得てして複雑なもの、色んな要因が絡み合ってある現象が生まれたりする

分かりやすく、高揚的に、そうあの戦時中のプロパガンダフィルムそのものである、今の日本のメディア報道は

わたしは多様性を否定するものすべてを疑う、それがたとえ正義っぽく見えても

スローライフは善でも悪でもない、ただ生き方のひとつの選択肢である

長時間労働する人の生き方をハードライフとするなら、その生き方も無論善でも悪でもない、ひとつの選択肢であるだけ

人の心を自分勝手に忖度すべきではない、人はみな自分が選んだ人生に誇りを持って生きているのだ

その誇りを非難する資格など誰も持たないのである



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posted by チャリダー詩人 at 10:35| Comment(0) | チャリエッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする